摘要:霊長類の犬歯は形態が単純なため,系統学的にあまり有効ではないと考えられてきた。しかし,犬歯形態には重要な形態的特徴が含まれている。アフリカに棲息する大型類人猿の一種で,ヒトに近縁である Pan paniscus (ボノボ)について犬歯の形態特徴を明らかにし,性的二型の程度をみること,個体変異を明らかにすること,人類との類似性を探ることを目的にこの研究を行った。資料はベルギーのTervurenにある王立中央アフリカ博物館に所蔵されているボノボの頭蓋骨と下顎骨に植立している犬歯である。オスとメスの歯冠の形態を比較してみると,ボノボは大きさだけでなく歯冠形態にも性的二型が現れることが分かった。上顎:歯冠高はオスが高いため舌側面からみた概形は二等辺三角形,メスは低いことから正三角形を呈す。オス・メスとも頬舌側の歯頚線は歯根側へやゝ凸湾しているか直線的である。オスの近心shoulderは歯頚1/5のところにある。近心切縁溝は深い。中心溝は尖頭から歯頚線まで走る。発達した遠心舌側隆線が歯冠1/2あたりから歯頚隆線まで縦走した後,L字状を描いて歯頚隆線と合流する。メスでは近心shoulderが歯頚1/3のところにある。近心切縁溝は発達がオスより弱い。近心舌側隆線や中心溝もオスほど発達していない。下顎:オスの近心shoulderは歯冠中央1/3にあり,近心の切縁と辺縁隆線のなす角度はほぼ110度を示す。主隆線(遠心舌側隆線)はよく発達し,稜縁が鋭角的で,遠心舌側結節は外側に膨隆している。さらに,歯頚隆線はその下部が強く膨隆している。メスでは近心shoulderが中央1/3のところにあり,近心と遠心の切縁が作る角度(尖頭角)が鈍角的であること,歯頚隆線の上端が肥厚していること,隆線の発達が弱いことが特徴に挙げられる。全体的に,オスよりもメスの方が形態は丸みを帯び,舌側面にあらわれる隆線や溝の発達程度も弱い。大型類人猿では上・下顎犬歯の歯冠高に強く性的二型が現れるが,それはボノボにも明瞭にみられた。ボノボの性的二型の強さは,この種が複雄複雌型の社会構造を持つことと関連すると考えられる。ボノボとヒトの犬歯を比較した場合でも,大きさのみならず形態にもかなりの違いが認められた。個体変異に関しては,オスよりもメスで形態にバラツキが比較的多く,とくに歯頚隆線の発達程度に認められた。