空前の都市型震災となった阪神大震災は, 多くの尊い人命を奪い, 甚大な被害をもたらすとともに, 自然災害に対する社会的対応のあり方, ひいては, 日本の社会システムのあり方に関して, 多くの警鐘を鳴らした。その一つに, 大量の避難者を, しかも数ヶ月という長期間にわたって引き受けた避難所に関わる問題がある。これまで, 災害に伴う避難所には, 被災者の安全と当面の衣食住を確保する「一次機能」だけが想定されていた。しかし, 阪神大震災によって, 避難所が, 中長期的な生活復旧を支援するための拠点としての機能, すなわち, 「二次機能」をもカバーしなければならないことが明らかになった。本研究では, まず, 事例としてとりあげるA小学校 (神戸市東灘区) が, 強力な地域リーダーのもと, ボランティアを巧みに活用しながら, 時期ごとに運営体制を段階的に変容させ, 一次機能, および, 二次機能の両者を果たしえた過程を, 同避難所のリーダー, 一般避難者, ボランティア, 関連行政組織の担当者らに対するインタビュー結果をもとに報告する。次に, その段階的変容プロセスを, 杉万ら (1995) が提唱した, 避難所運営に関する「トライアングル・モデル」の観点からとらえ返す。最後に, 以上を踏まえて, 今後の大規模災害時の避難所運営に関して, 10の提言をまとめる。