有機リン化合物は,合成樹脂産業での抗酸化剤や可塑剤,農業用殺虫剤あるいは神経ガス兵器として利用されてきている.一部の有機リン化合物は, acetylcholine esterase阻害作用とは異なる遅発性神経毒性(OPIDN)を有している.本総説では, OPIDN研究の現況について述べ,今後の研究の方向について考察する. OPIDNでは,化合物暴露後7日以上の潜伏期,軸索変性を伴う下肢麻痺,および加齢や動物種による感受性の相違が特徴的である.若い動物や齧歯類では感受性は低い.阻害された神経毒性エステレース(または神経障害標的エステレース: NTE)の坐骨神経での回復の早さばかりではなく, carboxylesteraseを含む解毒機構が加齢および種による感受性の相違に貢献している. OPIDNでは順行性軸索輸送には変化は認められないようであるが,逆行性軸索輸送は阻害されると報告されている. NTEの阻害,および阻害されたNTEのagingがOPIDNの発症機序と考えられてきたが,これに反対する議論もある. CaM K IIのようなkinaseによるcytoskeletal proteinのリン酸化や神経毒性物質高親和性結合部位がOPIDNの発症を引き起こすのかもしれない.亜リン酸トリフェニル(TPP)は合成樹脂産業で一般的に使われている化合物であるが, OPIDNとはいくぶん異なる遅発性神経毒性を持っている. TPP誘導性神経毒性の潜伏期はOPIDNのそれに比べ短く,齧歯類も同毒性に対して感受性を示す.軸索の障害に加え,神経細胞も障害される.ミトコンドリアのエネルギー代謝関連酵素が本毒性の標的かもしれない.今後の研究はOPIDNとcytoskeletal proteinのリン酸化および高親和性結合部位との関連の追究に向けられるとともに,齧歯類での発症モデルの開発に向けられることが望まれる.これらの研究はOPIDNについて未解明の部分に解答を与えるとともに,変性性神経疾患の病因解明にも貢献するであろう.