鶴田一郎の論文「V.E.フランクルにおける「生きがい論」の射程について」について、まず第一にニヒリズムや神の死が持つ歴史的な必然性を組み込んで具体的に問題を論ずる必要性を述べた。次にニヒリズムや神の死という西洋社会における重大な歴史的出来事と、個人的な強制収容所体験から生まれたフランクルの思想が、異なる歴史的・文化的文脈を持つ日本などの社会で、どのような意味を持ちうるかについての検討の必要性を指摘した。続いてフランクルの「生命の意味(生きることの価値)」に関する議論と、その中にも見いだされる「在ることの価値」の問題を、どう鶴田の「生きがい論」に組み込むことができるのかという問題を提起した。