一、伊豆半島沿岸の諸港は明治中葉以前に於て、關西・關東を結ぶ主要貨物輸送路に於ける風待港の役割を演じてゐた。これは風が決定的力を有してゐた廻船の運航に際しこの半島が航路中の突出陸地であり諸港が好錨地を形成してゐるためである。本稿は各港の性質上の差異及び重要度の相違を、主として現地聽取法により得られた資料に基き論述したものである。 二、風待港となつてゐた所は從來紹介されてゐた下田・網代・川奈・外浦・須崎・子浦の六港の外に柿崎。長津呂・中木・妻良・岩地・松崎・田子・安良里の八港がある。 三、主として東行船の風待港となつてゐた港と西行船の入つた港とがある。各港灣の外海への開口方向がこの兩者の區別を生ぜしめた。 四、風待港としての重要さを碇泊廻船數・船宿數・遊興機關の状況等より判斷すると下田が最大重要港で、柿崎之に次ぎ、以下子浦・長津呂・中木等が續き、總じて南海岸の諸港が有力で、此等の各地は港聚落として榮えてゐた。 五、交通機關の進歩により各港は風待港としての機能を喪失し、南海岸に於ける主要港が最も經濟的打撃を蒙り今尚當時の戸口を恢復し得ざるものが存する。