『家政要旨後編』の原典解明および原典と訳書との比較検討の結果, 次の点が解明された. 『家政要旨後編』の原典は, Andrew Combe : The Management of Infancy , D. Appleton and Co., New York (1875) および Thomas Bull : Hints to Mothers , Longmans, Green, and Co., London (1876) であった.なお本研究において入手できた原書資料は, それぞれ1871年版と1875年版である. コム『子女教養論』は, 読者対象として子どもを持つ親ならびに若い医者の入門書として執筆された.同書刊行の背景に, 乳幼児死亡率の高さがある.コムは乳幼児死亡率を改善するための手だてとして, 家庭において, その母親に予防手段としての生理学的知識を提供することによって, 改善を図ろうと試みた. コムの『子女教養論』は, 子どもが生まれる前から, 両親の遺伝的性質が子どもに及ぼす影響, 妊娠期の母親の生活様式が子どもに影響を及ぼすことに関する内容から始まって, 以後, 子どもの発達過程に沿って医学的見地に立つ内容が記述されている点に特色がある.とくに, 子どもの精神構造や幼児期における道徳教育の重要性など, 子どもの教育問題にまで踏み込んだ内容になっている. 一方『家政要旨後編』のもう一つの原典であるブル『母親の心得』の刊行の意図は, 女性に対して妊娠・出産に関する知識を提供することにある. このように, 永峯秀樹纂訳『家政要旨後編』の二つの原典は, いずれもイギリスの医師によって執筆されたものであった.19世紀は, 医学がめざましい進歩を遂げた時代であった.この2冊の著作の特色は, そうした発達した医学の成果を家庭生活へと応用を試みている点にある.生理学・衛生学の知識を家庭生活に応用しようとする試みは, 19世紀の家政書に影響を及ぼしている.とくに, アメリカ家政学の先駆者と称されるビーチャーの代表的家政書には, コムの影響を受けて, 生理学・衛生学の科学的知識が導入されている.このような観点に基づく医学的内容を基礎とする翻訳育児書は, 明治初期に『家政要旨後編』以外にもわが国で刊行されている.『家政要旨後編』の二つの原書の一つブル『母親の心得』 (原書) は, 大井鎌吉訳『母親の教』として明治14 (1881) 年に丸善から全訳刊行されている.イギリスで刊行された家庭医学書が, アメリカの家政書のみならず, わが国においても翻訳書によって紹介されていた点には着目される.今後, こうしてわが国に紹介された家庭医学書的内容を持つ育児書が, わが国の家政学・家政教育の発達過程のなかで, どのような役割を果たしていくのかについて, アメリカ家政学の発達過程との比較などを通して, 研究を深めていく必要がある.