中央集権的な律令体制国家の下に発達した条里制は農村の土地区画としては便宜なものであるから, 律令体制が崩壊して荘園時代に入っても, その荘園体制下に条里は生きて活用され, 決して化石化してはいない。 したがって荘園研究を進めている間に条里の諸問題を解決する端緒を把握することができるであろうという考えのもとに, 平安遺文全巻を繙いて荘園中に生きている条里を整理してみた。 その結果, 条里の規模に地域差のあることを知った。 これによって条里のタイプも打出せそうである。 また条里は無制限にひろがってゆくものではなく, その施工はいろいろな地理的条件に支配され, これが条里に地域差を生ぜしめた基因であろうと考えた。 表5 条里の桑園 (尾張国安食荘) また地域によって条里の土地利用も異なるものがあり, これがまた地域性を潤色する要因にもなるのである。 条里の土地割はもともと班田収授制をスムーズに実現するために導入されたものであるから, 条里が水田地域に分布していることはいうまでもないことであるが, 実際的には, そのような単調なものではなく, 桑園や麦畠があったり, 山野にまで条里が伸びて栗林をもつといったように, 条里の土地利用ははなはだ複雑である。