関東の西北部一帯に展開する機業圏について, それぞれの地域に根ざした機業の歴史的構造と現在の生産構造の両側面から考察を進めてきた。 その機業一般の大勢は第10表によって要約される。 第10表 関東西北部山麗機業の大勢 (1954-1955) 上古, 大陸から伝えられた製織技術がまず畿内文化の一環を形成し, やがて東山道を経て関東西北部にも波及してきた。 この技術的伝波をその地理的位置から最も早く吸収し得たのが鏑川及び渡良瀬川の溪口山麓部で, 中世, 日野絹・仁田山絹としてそこに二つの絹業の核が芽生えてきた。 ともに山間溪流に沿う山麓部で湿度の点からも初期絹業の定着に対する立地が首肯される。 しかしながらこの二つの絹業の核が, 近世に入って各々異った発展の方向をたどって現在に流れている。 (a) 日野絹の流れを汲む西上州では, 土地利用上原料繭の豊富であったことと, 中山道に近い交通上の優位性から, 近世に入って異常な発展をとげ, もっぱら技術的には単純な生絹の量産を指向, 高崎・藤岡の絹市のごとき桐生をしのぐ隆盛を極めたのである。 しかるに明治以後, 生糸貿易の抬頭によって, 繭を市場に出すことに重点が置き変えられ, 前橋・高崎・富岡等の都市製糸工業の発展となった。 そしてこの大きな製糸圏のなかにかくされつつも, いまにいたるまで生絹製織を続け, わが国三大生絹産地の一つを形成している。 半木製小巾織機による生絹の単一生産地区。 (b) 仁田山絹の流れを汲む桐生は, 近世に入って京都西陣の技術を導入, もっぱら高級絹織物への質的発展を指向した。 以来, 関東機業の技術的核心地となり, 地域的には足尾の山麓, 桐生川の渓口部に密着し, 早くから都市手工業化していった。 幕末から海外市場にも進出し, 明治に入ってはわが国における輸出羽二重の先駆者ともなった。 現在も鉄製広巾織機を主体に複雑な分業形態をとって, 紋織御召・帯地等他産地の追随を許さない高級織物を生産。 さらに周縁農村にはみでて, 西郊山沿いの村村では輸出広巾物の下請賃織地区。 東南山麓沿いの村村では大衆向帯地の単一生産に集中。 こうして内部地区的に明瞭な三つの地域分化をとげている。 (c) 西陣から移された桐生の技術が, 近世末になって周縁地域にも波及し, 国民経済の発達による需要増大を背景に, 伊勢崎・館林・足利・佐野等の地方機業勃興をもたらした。 ただ, 東部の佐野・館林では結城, 真岡の先進綿業地からの影響も没することはできないが, ひとしく桐生を中心とする両毛機業の外廓を構成しつつ発展してきたのである。 (d) 桐生と相似的に足尾の山麓渓口部に位置する足利は, 上州の絹織物・常陸の綿織物, この両者の交界地域にあって, そこに絹綿交織として自らの個性を育みつつ成長してきた。 桐生の高級織物に対し大衆向安価製品の量産を指向。 もっぱら周縁農村に出機を拡大, 次第に佐野・館林の織物をも自己の傘下に入れ足利商人の手で市場化していった。 こうして桐生の外廓を形成し, かつ, 自らも佐野・館林を外廓に持ちつつ成長してきたのが足利である。 明治の末からは力織機を入れ工場組織化を進めていったが, それは零細な農村賃機がそのまま賃織工場化し, かかる分散的零細工場群を基盤に足利銘仙の異常な発展となった。 戦後, 小巾銘仙着尺の需要減退から, 一部では広巾織機による洋反物や新興メリヤスに転身, さらに毛織物をも導入して多角的機業地化しつつある。 (e) 足利の東・南部に続く佐野・館林機業圏では, 農村綿作を基盤に江戸末期, 自然発生的に綿業の発達をみたが, 足利市場の確立とともにその外廓部を構成しつつ出機圏を拡めていった。 佐野では明治15年, 館林では明治末, ようやく独立して自らの主体性をもつ機業地となったのである。 とくに佐野は石灰質に富む秋山川の川晒によって全国的な綿縮の産地となり, 山麓の零細な賃織工場群を背景に発展, 戦後は毛織物に転身する業者も多く, 足利とともに多角的機業地への動向をしめしている。 平坦部農村を背景とする館林では, 農間稼ぎの手機を現在にいたるも残存させ, 力織機の及ばない木綿絣の単一生産地区。 しかし, ここでも戦後は内地物着尺の需要減退から毛織物機業に転身するものを生じ, 外来大企業資本の下請生産が抬頭, 地縁的在来工業としての関東機業の性格変貌上, 今後の動向が注目される。 (f) 渡良瀬・利根の両河に挾まれた農村一帯に2万数千の手機を分散させている特異な機業圏は伊勢崎地方である。 工場化によって年間操業するだけの余剰労働に乏しく, 農閑期の零細な婦女子労働を基盤に平坦部を埋めつくし山麓にまで拡がった広大な手機圏。 生産能率では力織機に遠く及ばないため, 質の上で力織機に優る珍絣銘仙の単一生産地区。 しかし, 織物需要期と農閑期の生産調節をはかるための非農家賃機の存在も大きな意味をもち, また, 伊勢崎都市域や近郊