宝塚少女歌劇の伴奏オーケストラから発展し、1926年に設立された宝塚交響楽団は、戦前の関西地方における唯一のプロオーケストラであった。このオーケストラは、大資本阪急の後ろ盾を得たことにより、急速な発展を遂げたものの、それゆえに、1930年代半ばになると、阪急と少女歌劇の動向によって活動の停滞をも余儀なくされた。本稿では、今まで、ほとんど知られていなかった宝塚交響楽団の運営の実態を、未刊行史料を用いて明らかにする。