現代アカデミアのいう言語の “unidad” とはいかなるものか。その概念の歴史における変容、つまり Nebrija、Bello およびアカデミアの言語観を比較考察することを通して、この語の現代的解釈を試みたい。 Nebrija は、カスティーリャ語を国家言語へと昇華させる、言語の「統一」を目指し、その内部に「画一性」を与えることを文法の意義としていた。一方の Bello は、中南米諸国独立の象徴として、またスペインに対抗する「アメリカ」という共同体の一体性を担保するものとして、言語を価値づけようとした。 Bello は、スペインの規範に対峙する新たな規範を模索したが、それはスペイン語の「単一性」に対抗するものであった。 さらに、21世紀アカデミアにとって “unidad” とは、言語規範の統一を志向するものではなく、無数の様態の根源にある共通の母体を意識すること、すなわちこの本質的同一性の認識に基づく一体性を指すのではないか。アカデミアについては、3世紀に渡る沿革から、その言語観の発展を考察する。