ジャイナ教の聖典期には,聖典における単語のひとつひとつを正確に理解するための「解釈方法(anuyogadvara)」というものがある.どのような方法かというと,単語のもっているいくつかの性質を,解釈の可能性,すなわち選択肢として列挙し,それらの中から当該のコンテキストに見合った選択肢を選びとって,単語の意味を特定するという方法である.主にniryuktiなどの注釈文献において見られるその方法は,ひとつではなく,列挙される要素の組み合わせなどによっていくつかのパターンが存在した.そのなかでも特に重要視されたのが,「名称(nama)」「表象(sthapana)」「実体(dravya)」「状態(bhava)」という組み合わせのパターンであり,それは特に「ニヤーサ(nyasa)」,あるいは「ニクシェーパ(niksepa)」という名前で呼ばれた.そういった聖典解釈法のひとつとしてのニクシェーパが,のちにジャイナ教の認識論・論理学に関わるテキストにおいて,その体系の中に位置づけられ,場合によってはプラマーナ(pramana)とナヤ(naya)と並ぶ概念として取扱われるようになる.しかし,歴史的に見れば,それぞれの論書の著者によって,ニクシェーパの捉え方は様々であり,「いくつかの観点に基づいてひとつの単語をとらえる」という性質において類似性が認められるナヤとの関係上,ニクシェーパの存在意義そのものに関する議論も交わされることもある.また一方で,研究史に目を向けてみると,このニクシェーパという概念についての研究が,いわゆる聖典期から論理学期にかけて,通史的に詳しく研究され尽くしている,というわけでもない.これまであまり重視されてこなかったといっても過言ではない.そこで本稿では,このニクシェーパに関する主な先行研究を紹介し,論理学期における最も主要なテキストとも言うべきUmasvati/UmasvamiによるTattvarthadhigamasutraおよびそれに対する自注において,ニクシェーパがどのように定義されたのかを検討した.