釈尊自身が色界四禅定 (jhana) に順次入定してから解脱した例に見られるように, 禅定は, 仏教では悟りへの道において重要な役割を果たしている. 第一禅定への入定の仕方がパーリ経典に明示されるが, それは悟りに必要な信・精進・念・定 (samadhi)・慧の五力の順に沿って説かれている. 修行者は, まず如来の教法を聞き, 如来に対する信を得る. 法を聞き法に随い (随法), 如来に対する信 (saddha) を持つ (随信) ことは, 悟りに向かう者が正しく踏み出す第一歩である. 仏教において入定次第は, その始めから, 禅定体験自体を目的とするものではなく, 悟りに導くプログラムに組み込まれている. 修行者は次に戒律によって身業と語業を守り (精進), 仏教独自の観 (vipassana) 瞑想に基づく念 (sati) という修行法によって意業を守る. 念とは, 眼耳鼻舌身意の六根から入る刹那毎の現象を次々にただ感受したままに確認し, 思考や, それから生じるあらゆる感情・煩悩をはたらかせない行法である. 念が身に付くと, 修行者は禅定に入るために結跏趺坐し上半身を垂直に保ち, 念を正面に据える. 五力の中の定 (samadhi) である. 定 (samadhi) は未だ禅定 (jhana) に入ってはいないが, 念を一点に集中する止 (samatha) 瞑想という行法である. 念を一点に定めていると, 智慧 (pañna) が現れるのを妨げている五蓋と呼ばれる煩悩が次々に取り除かれる. この智慧の現れが悟りの第一歩である. 智慧が現れると, 必然的に第一禅定 (jhana) に入定する. パーリ経典では, 止瞑想を仏道修行に取り入れることで, 集中力や禅定との相乗効果によって悟りがより確実にスムーズに得られるようにプログラムされていた.