諸律に記される第一結集記事において, アーナンダは重要な役割を果たす. しかしそれぞれの第一結集記事を見比べてみるとアーナンダの役割に関して, 少しずつ相違点が見られる. 第一結集記事において共通して記されるアーナンダに関する話題は,「アーナンダの罪」という項目がある. しかし, それぞれの記事においてアーナンダの罪状及び数が異なっている. また罪状は一致していても, 彼の「言い訳」の部分が異なったり, あるいは大迦葉によって再度反論を受けたり, あるいは『摩訶僧祇律』のように部分的に罪を認めたりと, 極めて多様な様相を呈する. このことは「アーナンダの罪」という第一結集記事共通の構成要素が, それぞれの部派の裁量で『涅槃経』を中心とする自らの聖典を参照しつつ, 独自の解釈が加味されていった結果と考えられる. この理由として, 次のものが指摘できる. (1) 小々戒廃棄問題の場合,『涅槃経』のブッダの文言に対するアーナンダの無反応に対して, 各部派ごとにその無反応に対する解釈に相違点があった. (2) アーナンダがブッダに水を与えなかったという罪に対する言い訳の相違に関して, これは元になった『涅槃経』の記述自体に相違があり, 第一結集記事がそのまま引用し, アーナンダの言い訳を形成した結果となる. つまり自部派内の『涅槃経』に記述があればそのまま採用し, なければ自ら解釈するという構造が見える. よって, 元の『涅槃経』の記述に部派ごとに相違があるならばそのまま反映される. これは律における第一結集記事が『涅槃経』を下地に構築されたことを意味すると考えられる. ただし,『雑事』は『涅槃経』を参照していないと見られる箇所 (小々戒廃棄問題) と参照したと見られる箇所 (濁った水を与えた) があり, 必ずしも一様でない.