サンスクリット詩学におけるラサ論は4世紀前後に書かれたとされる『ナーティヤ・シャーストラ』によって初めて言及され,9世紀カシミールに登場したアビナヴァグプタによって思想的基盤が与えられた.従って,アビナヴァグプタ以降の詩論家達は彼の思想に言及せずにラサ論を語る事はできなかった.しかし,アビナヴァグプタ以降の詩論家達には独自の思想性がない,とするJeffrey Moussaieff MassonとMadhav Vasudev Patwardhan(1970)の見解には疑問を提示せざるを得ない.Venkataraman Raghavan(1978)やSheldon Pollock(1998, 2016)が指摘するように,パラマーラ王であったボージャ(11世紀)など,アビナヴァグプタ以降にも独自のラサ論を展開した詩論家が存在したからである.また,バクティ(信愛)の思想とラサ論を融合し,独自のバクティ・ラサ論を展開したジーヴァ・ゴースヴァーミー(16世紀)も注目に値する.この論文ではジーヴァの『プリーティサンダルバ』111章に焦点をあて,アビナヴァグプタ以降のラサ論の発展の一部を解明する.その過程でPollock(2016)におけるジーヴァのバクティ・ラサ論理解に対する修正も提示する.