ジャイナ教出家者の滅罪儀礼や教団運営を規定するテキスト『ヴャヴァハーラ・スートラ』には,歴史的に古いものから順に,1)『ニリュクティ』(プラークリット語),2)『バーシュヤ』(プラークリット語),3)『チュールニ』(プラークリット語とサンスクリット語),4)『ティーカー』(サンスクリット語)の4つが存在している.上記の4つの注釈文献のうち,最初の2つは,注釈文献とは言いながらも実際には『スートラ』の補助文献的な役割を持っていたと考えられ,これらもまた,さらなる注釈を必要とするいわば『スートラ』に準ずるような性格をもったテキストと言える.『チュールニ』は,これら『スートラ』と『ニリュクティ・バーシュヤ』に対する注釈であり,プラークリット語とサンスクリット語が混在した散文から成る.最後の『ティーカー』もまた,『チュールニ』同様,『スートラ』『ニリュクティ・バーシュヤ』に対する注釈である.つまり,『スートラ』『ニリュクティ・バーシュヤ』に対する注釈文献には2種類のテキストが存在する訳であるが,分量的にはこの『ティーカー』の方が多く,整然とした議論が展開されているために『スートラ』と『ニリュクティ・バーシュヤ』の解読には,注釈としては一般的にはこれが使用される.これまでジャイナ教聖典研究においては,『スートラ』本文そのものの解読が第一の目的であったため,『スートラ』理解に対する有用性の観点から,『ティーカー』が重視されてきた.しかし,注釈文献の歴史的展開という観点からすれば,歴史的に先行する『チュールニ』の重要性は看過できない.本発表では,この観点から『チュールニ』を捉え,これが『ティーカー』のいわば原型のような存在であったということを,両者の比較を通じて示すことを目的とする.